-- 明神崎と琵琶湖大橋の地理的関係 2001.10.02. made by K. Matsui--

明神崎から見る琵琶湖大橋の意義

明神崎から琵琶湖大橋までは、下図に示すように直線距離にしておよそ18.3km。琵琶湖大橋の最高部は26.3m。この直線距離18.3kmと高度26.3mの関係は特別な意味を持つ。それは、琵琶湖大橋の最高部から見た水平線に相当する位置が明神崎辺りになるからだ。逆に明神崎の湖岸に立てば水面から琵琶湖大橋最高部がぎりぎり見えるかどうかの関係になるということだ。(下の表のxとhの関係を参照)

地図を見ると分かるように、明神崎は琵琶湖大橋とほぼ垂直の関係にある。ここから琵琶湖大橋を観察するに辺り、少し南に位置する白鬚神社と湖に浮かぶ鳥居の間にある石段を選んだ。この横を国道161号線が通る。国道は毎日の通勤路であり、また自宅のある北小松からも近いので観測に便利な場所である。

 高島町から国道161号線を下り、大溝橋にさしかかると片道2車線の道路となる。左には琵琶湖が一望でき、右に打下の集落を見ながら抜けると白鬚浜にさしかかる。この突き当たりが明神崎で、すずらん食堂がある。ここからやや右にカーブしながら両側4車線の路を進んでいくと、両側2車線の狭い路になる。ここから50m程南が白鬚神社である。鳥居が湖に浮かび、誰もが異様な雰囲気を感じる場所である。

白鬚神社は「家内安全、交通安全、延命長寿、安産、厄除、病気平癒、商売繁昌、受験合格、初宮詣」等、様々な祈祷が受けられる。毎年9月5日は白鬚祭で、高島町にみならず遠く志賀町や安曇川町方面から人々がお参りし特に賑わう。

文献には『白鬚神社は、垂仁天皇25年の創建と伝えられる古社で、祭神は猿田彦命。入母屋檜皮ぶきの本殿は、戦国時代に豊臣秀吉が造園した、とされ重要文化財に指定されている。「守護神」として祭られている新羅明神も白髪、白鬚の老人の姿をした神で三井寺の開祖、円珍が唐の国から帰国する途中、難破しそうになった船を救ったと伝えられている。一説には「比良」は新羅を意味する「斯羅」がなまったとされ、その説に従えば比良明神と新羅明神は同一の神ということになるが、比良明神も新羅明神も朝鮮渡来の神と考えてよさそうだ。滋賀県の地には渡来文化の足跡がいまなお残っている。古墳時代にはすでに繁栄していたことは、遺跡が語ってくれる。平安時代初期になって、新羅の仏師が、この地にいたとしても何ら不思議はない。』と記されている。

神社前の石段は湖面へと続いている。国道は水面より3.5m程高いところを走る。国道に立って琵琶湖大橋を眺めるとおよそ5mの高さからの観察となる。ここから琵琶湖大橋は肉眼でもはっきりとよく見える。石段を下り水面に近づくにつれ琵琶湖大橋の姿は変化する。湖に目をすれすれに琵琶湖大橋を眺めると、琵琶湖大橋の上部しか見えなくなるから不思議だ。地球の丸さが「この僅か5mの高さから満喫」できる。このような場所は琵琶湖の周りにおいても他になく珍しいと思う。船木崎に続いて、明神崎から琵琶湖大橋を徹底観測したので、この成果を報告したい。



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